satetsu’s blog

マレーシア 赴任中の会社員。家族との思い出を綴ったブログ。

息子のお地蔵さんへの思い

昨日の夜、5歳の息子が嗚咽を漏らして泣いていた。

「お地蔵さんが家の隣にあったらな〜😢」と泣いていた。

私は励ますとともに、あまりにピュアな心にとても会いたくなった。

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私は家族と離れて暮らしいるから生じる隙間を埋めるために、

毎晩オンラインで読み聞かせををしながら寝かしつけている。

AmazonのEcho Showという装置だ)

 

いつものようにお話を2本して、「おやすみ〜」という頃には

もう寝ていることもあるのだけれど、

昨日、息子は質問をしてきた。

「うちの冷蔵はあと何年で壊れるの?」と。

 

唐突な質問だったが、真面目に「あと5年くらいかな」と答えた。

しばらくして、突然息子の鳴き声が聞こえてきた。

嗚咽のため、最初の5分くらいは何を言っているか聞き取れなかった。

姉にいじめられたのかな?とも思ったが、そうではないらしいことがわかってきた。

聞き取れたキーワードは「お地蔵さん」だ。

 

そのあと、少し聞き取れるようになってきた。

「お母さん、あと26回正月きたら死んじゃうの?」

「僕、一人暮らしになっちゃう」

と言っている。

どうやら、「死」を意識したらしい。

自分も子供の時、家族の死を意識して寂しい思いをしたことがある。

 

続けて息子は、

「お地蔵さんが家の隣にあったらなあ」と言いながら泣いていた。

「大きい石があればいいのに」とも。

 ーーー

息子の話はかなり飛躍しているが、お母さんが長生きして欲しいから、

それをお地蔵さんにお願いしたいということだった。

そして、大きい石があればお地蔵さんを作るってことらしい。

 

後から、妻に聞いて全てが繋がった。

 

「寿命図鑑」を寝る前に読んだらしい。

www.amazon.co.jp

 

これを読んで、お母さんが何歳まで生きれるかの話を、

寝る前にはなしたとのことだった。

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確かに冷蔵庫の寿命も書いてあった。

 

影響を受けやすくとてもピュアなのだ。

お地蔵さんの話はかわいい発想だと思った。

私は命あるものは皆死ぬこと、楽しく生きれば死は怖くないはずと

伝えたが伝わっただろうか?

 死について考えることは大事なことだと思うし、

このかわいいエピソードを残しておきたくて、

久しぶりにブログを更新してみた。

マレーシアで飲茶 10/18,2020

マレーシアに来て約1カ月と一週間が経った。

2週間の強制隔離もあったので、実際にマレーシアの生活に触れたのは3週間ほどだ。

 

今日の朝、念願の飲茶(ヤムチャ)に行ったので、その内容を報告する。

職場の人に隔離期間空けに、[今度飲茶食べに行こう]と言われてからずっと食べたかったのだ。

 

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Wikipediaによると飲茶とは、中国広東省、香港、マカオを中心に行われている習慣で、

中国茶を飲みながら天心を食べること。

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とある。

どうやら飲茶は食べ物を指すわけではなく、

習慣を指すようだ。

 

朝9時に職場の人の車に乗せてもらい、ホテルの近くの飲茶の店に行った。

店は朝から降っている土砂降りの影響もあってか、空いていた。

店内は4卓ほどの丸テーブルがあり、そんな大きくない個人店だ。

 

店の前に小型のセイロが積み上げられていた。

店の人がすぐに、セイロを数種類開けてくれた。

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10種類ほどの蒸し料理から、食べたいものを選んでいく。

エビの小籠包、焼売、饅頭のようなもの、中華おこわ、すじ肉の煮込み、

魚のすり身料理、ひき肉の料理などがあった。

一通り注文したと思う。

ビーフンも勧めてきたらしく、

ビーフンも後から運ばれてきた。

 

また、セイロが並んだものの隣に

肉まんや蒸しパンなどが並んだものもある。

そこで肉まん(中国は大包;ダーパオという)と蒸しパンも頼んだ。

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ちなみに大包は日本のコンビニの肉まんの2倍以上の大きさがあるがたったの4.5リンギットだ。

 

早速席について食べた。まずは小籠包。

うまい。具はシンプルにエビだけだった。

でもスープも閉じ込められていた。

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焼売や大包もとても熱々で美味しかった。

 

大包は日本のコンビニのものとは比較にならない美味しさだ。

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すぐにお腹いっぱいになった。

 

一緒に運ばれてくる中国茶ジャスミン茶のようなものでお猪口のようなもので飲む。

 

大きな急須を丸ごと置いておいてくれ、

なくなったら店員が追加してくれる。

 

中国赴任経験のある職場の人が

「本場ではみんなお茶を知人と酌み交わし、

朝ののんびりした時間を過ごす」

と教えてくれた。

 

いざお会計になると、一人当たり、

たったの12リンギット

300円程度。お茶も飲んで、すごいお腹いっぱいになったのに。

 

これならかなり気軽に来れる。

もっと美味しい店がテブラウイオンの近くに

あると言うので、

リサーチしておき、家族がきたら休日は

朝の定番として行きたいと思った。

 

飲茶の習慣、こちらではハマりそうだ。

 

 

インドアでアートな娘

明日とうとう、2週間の隔離生活

(コロナにかかってるわけではないので、

正確には検疫生活)が完了する。

 

さて、それとは関係ないが、

我が家の子供達のすごいところに

気づいたので、忘れる前にメモして

おこうと思う。

 

我が家の子供たちはインドア派だ。

特に娘は外で遊ぶことを好まず、

休日に外出したがらない。

休日はアウトドア派な私は

子供たちと出かけるのにも

交渉が必要で一苦労。

 

特に娘はペーパークラフトが趣味だ。

紙や箱を使っていろいろなアート作品を

作ってきた。

 

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娘が年中くらいに、保育園で空箱アートに

ハマったと思う。

娘が保育園の年少の時に、家庭の空箱を

保育園に集めて、

工作に使う取り組みが始まった。

 

思い返すと娘が空箱アートに没頭するのに

時間は必要なかった。

空箱を集める取り組みが始まると同時に、

娘は毎日作品を持ち帰るようになった。

毎日だ。しかも我家が持っていく箱の

数倍もの箱を使ったアート作品を

持って帰ってくる。

 

作品はガチャガチャ、自動販売機、

UFOキャッチャー、エレベーター、

ドールハウス、カメラ、船、車など

多岐に渡った。

お菓子の箱、ストロー、紐、

トイレットペーパーの芯などを

うまく組み合わせていた。

年齢を重ねるごとに娘の作品は凝っていった。

ガチャガチャは回せるようになり、

自動販売機はボタンを押すと缶が出てきた。

ただし、娘は飾り付けにはあまり興味が

ないらしく、箱のパッケージはいつも

剥き出しだった。

折り紙やペンで色付けすることは

ほとんどなく、例えば「バーモンドカレー」

と大きく書かれたドールハウスだった。

 

保育園の個人面談では私と妻で臨んだが、

先生に娘のアートをほめらた。

娘は、「箱の形を見てそれをどんな作品に

具現化すべきがすぐに思いつく」と。

その箱はどんなアート作品にされるのを

望んでいるか、その日に集まった材料を

見渡せば、娘には一目でわかると。

 

結局、各家庭から回収された空箱は

ほぼ全て我が家に回収された。

 

小学校に上がった娘は今でも、

アートを続けている。

プラ板や折り紙は日に日に腕を上げている。

子供用雑誌も、付録の少ない

「小学1年生」より紙工作の付録の

充実した「幼稚園」を恥じることなく選ぶ。

 

そして、今アトリエに通っているが、

その先生は娘を「豪快」だと評する。

絵画では何の迷いもなく色を塗っていくと。

思い切りがいいと。

作品の仕上がりは周りの子供達よりも

一足早くできあがる。

 

そして実はここからが私の言いたいことだ。

娘のこの趣味は将来にわたって

「最強」だと気付いた。

 

雨でも、コロナでもこの趣味は続けられる。

家族とでも、友達とでも、一人でもできる。

お金がなくても、この趣味は一生続けられる。

特にお金がかからず、一生できるのは最強だと思う。

 

これから日本の経済が停滞して、貧しくなっていくかもしれないが

この趣味がある限り、娘は幸せに生きていけるだろう。

 

そんな趣味がある、娘が羨ましいと思った。

 

後悔先にたたず2 最適な赴任時期について

最適な赴任時期を間違えたと思ってます。

やはり赴任時期は家族と一緒に来れる時期に

なってからがベストだったと後悔してます。

 

もちろん、これは人によって違うと思います。

でも、(家族といつ会えるとわからない状態で

赴任すべきでなかった)というのが

私の今の価値観です。

 

まだ別れの電車の情景が、夜になると

胸を締め付けます。

電車に乗った時、初めて後悔しました。

(海外赴任ちょっと待ってください)の一言で

会社には受け入れられたと思います。

気づくのが遅すぎました。

 

でも海外の経験は自分の経験にはプラスと

考えるので、もし単身であれば子供が

中学生くらいならいいかなと思いました。

 

自分は中学生の時は生活の中心は家庭でなく、

学校だったので。

 

子供達がかわいい時期なので、

海外赴任で得るものと失うもの差が

価値観的には割に合いません。

 

今は家族がいつ来れるかを

はっきりさせたいです。

そうでないと、希望がもてません。

ホテルの生活が退屈だから、

そんなことを考えてしまいます。

 

娘との関係の変化を思い起こす

前回の記事の続き。

 

掛け替えのない娘と自分の関係が変化して

いったことを書いていきたい。

 

妻が2ヶ月という永い期間の入院で

精神と体力をすり減らしながら守り抜いた娘は

真夏に生まれた。

 

私たちは娘を本当に可愛がったと思う。

私は通勤前に住んでいるアパートの前を

毎日のように抱っこして散歩した。

遅めの寝返りを喜び、お父さんと言えるように

なった時は何度も言わせていた。

 

しかしいつの日かその気持ちを忘れていた。

年中〜赴任直前(小学1年)まで、

私は娘を急かし続けていたと思う。

 

一番多くいった言葉は「早く!!」だ。

朝は始業時間に遅れるから、「早く!」

夜は何に急ぐわけでもなく「早く!」

と言っていた。

 

自分はせっかちな方なので

「娘のマイペース」を「私のマイペース」に

引きずり込もうとしていた。

怒っていたことの方が多かった。

赴任で離れることを意識していなかったら、

エスカレートしていたかもしれない。

 

でもマイペースなことは悪いことではない。

誰に迷惑をかけるでもないことだ。

良く思い出してみると、

娘が呼んでもこない時は

読書や紙工作などをしていて夢中に

なっている時なのだ。

夢中になることも、読書も工作も、

むしろ推奨されるべきことをやっていた。

 

娘はマレーシアへ出発する日の

見送りで嗚咽を漏らして泣いてくれた。

娘は私がいなくなることを寂しく

感じてくれていた。

 

2つ忘れてはいけないことができた。

妻が命がけで娘を生んでくれた日のこと、

別れの電車のドアがしまる時のことだ。

 

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別れの日の前日に娘からもらった

プラ板のお守り、大切にしよう。

 

 

 

長女が生まれる前の入院生活を思い起こす

昨日、妻とLINE電話で話した時のことだ。

妻に「ホテルの隔離生活は私が長女を妊娠した時の、入院生活だと思えばいい」と言われた。

 

妻の入院生活のことを思い出した。

思い出したことを書こうと思う。

長女は我が家の長子だ。

私が結婚して1年して、わかった待望の妊娠だった。

 

ただ、早い時期から切迫早産と診断された。

結局妻は出産までの2ヶ月入院した。

「今の私の隔離生活なんて普通の生活だよ」と

言えるくらい辛い経験だったと思う。

 

今の隔離生活と、妻の入院で大きい違いが2つある。

 

①何と言っても一番大きいのは「不安」だ。

妻の入院は不安との戦いだった。

「早く生まれたらどうしよう」と

ずっと戦っていた。

妻は精神をすり減らしながら入院していた。

今の隔離生活は2週間耐えればいいだけだ。

 

②そして自由度も違う。私は確かにホテルの部屋の中にいなければならないが、部屋の中にさえいれば何をしても良い。やはり自由だと言える。

妻は病院の病室で横になっていなければならなかった。

妻は退院後に体力もすり減っていたことに気づいた。

 

期間も妻は私の約4倍だ。

こんなことを思い出していると、「隔離生活も悪くない。」とすら思えてくる。

 

妻に感謝をしなければならない。

 

そして、こんなことを考えていると

もう1つ大事なことの着想につながった。

次のブログで書こうと思う。

そう、うまれてきてくれた娘についてだ。

家族がマレーシアに来たらやりたいこと

家族がマレーシアに来たらどんなことをしたいか考えてみる。

これはきっとポジティブになれるからだ。

 

子供とプールでたくさん泳ぎたい。

浮き輪など遊ぶ物を膨らませて遊ぶ。

子供に泳ぎ方を教えたい。自分も子供の泳ぎ上達法を

学ばないとな。

 

マレーシア内、シンガポール、オーストラリア、などいろいろ

な場所を訪れたい。まずは観光地から攻めて、

ビーチや有名なレストランなども行けるといいな。

 

子供たちに異文化に触れてもらい、カルチャーショックを

受けるといいと思う。ただ、自分自身がまだカルチャーショックを

受けていないので、これがいいかはわからない。

 

現地の人とコミュニケーション、英語が日常で使われている

場所に行き、英語の必要性を感じ、この先の勉強のモチベーションを

高めてもらえればいいと思う。

 

今は寂しい時期だが、海外で生活することの

いいところにも目を向けていかないと。